ジャニーズJr.時代とてつもない人気があったKAT-TUN。
その中でもKAT-TUNらしさ、不良・ヤンキーのジャニーズの形を築き上げる一端を担った「赤西仁」。
ジュニアレベルではないパフォーマンスとビジュアルで彼が前に出れると割れんばかりの歓声がNHKホールに響き渡っていました。
当時はデビュー前にもかかわらず、ジャニオタを越え一般の人気も高かったため、ジャニーズ事務所を辞めた現在でも神格化されています。
そんな赤西仁さんのジャニーズJr.時代についてまとめました。
ジャニーズJrに入った理由がスターすぎる!?
1998年11月8日、赤西仁はJr.オーディションで落選しています。番号札を返却するため、「おじさん、どこに返せばいい?」と聞いた相手が、偶然にも故・ジャニー喜多川元社長でした。
そのうえ、番号札が1番だったことで、「YOU、残っちゃえば?」とジャニー氏から合格をもらいました。
ジュニア時代は田口淳之介とシンメだった!?
KAT-TUNの前はM.A.D.やB.A.D.といったバックダンサーでユニットを組んでいます。
その時は、KAT-TUNのメンバーでもある田口淳之介さんとシンメで、その頃から人気に火が付きました。
その後KAT-TUNをジャニーさんが組み、亀梨和也さんとシンメを組んだことでより人気が爆発し、デビューに向かっていきます。
仁亀はジュニア時代仲が良かった!?
元々、赤西仁さんと亀梨和也さんはジュニア時代は仲が良く、“優勝したら願いをかなえてくれるゲーム” という企画で亀梨さんが「北海道へ旅をしたい、赤西をカメラマンとして」と願いましたが叶わず、そのゲームを赤西さんがリベンジ。
赤西さんは「亀梨に対抗して沖縄旅行」と願うと、亀梨さんが「僕もつれてって」とおねだりし 結果、見事に優勝し二人で沖縄旅行に行っていました。
大親友は山P!?
ジュニア時代一番仲が良かった友人と言えば山下智久さんです。特に山下さんのデビュー前は特に仲が良く、家族同士も交流があったそうです。
ただ、一度だけ些細なことで大喧嘩をしたそうですが、その後少年倶楽部のスタッフが関係の修復のため、「あなたにお手紙を書きましょう」という企画で関係が修復したことを明かしています。
赤西仁のジュニア時代兄貴分はタッキー!?
赤西仁さんはジュニア時代、ジャニーズJr.リーダーでもあった滝沢秀明さんを相当慕っていました。
元々音楽の機械を自宅に保有していた滝沢さんは赤西さんを自宅へ招き、赤西さんはそこで初めて音楽を作ったり、いじったりしたとのこと。
赤西さんの原点はまさに滝沢さんが作ったといっても過言ではないでしょう。
現在も交流があり、滝沢さんが赤西さんをカウコンに呼ぼうとしたことも話題になりました。
デビュー前の初コンサートで…
デビュー前、初めてのコンサートでは、2万人の動員キャパに対して55万人の応募が殺到、異例の倍率でした。
言うまでもなく約53万人という膨大な人が落選したため、『55万人 愛のリクエストに応えて!!』というタイトルでライブDVDを発売した。
ジュニア時代にごくせんで華々しくデビュー!?
デビュー前には亀梨和也さんとごくせん第2シリーズに出演し、本格的に世の若者が「赤西仁」という人に気づきます。
平均視聴率は27.8 %、最終回は32.5 %と日本テレビのドラマで平均視聴率1位を獲得しています。
先に嵐としてデビューしていた嵐の松本潤さんがメインだったごくせん 第1シリーズ、Hey!Say!JUMPとしてデビューしていた高木雄也さんがメインだった第3シリーズもありますが、まだジュニアだった赤西亀梨が出演したシリーズが、ずば抜けて高視聴率をとっています。